野次を正当化とかおかしくね?
野次とは
やじ(ヤジ、野次、弥次、英語: jeering ; heckling)は、ある一人が相手の話を一旦は聞いて、合間に一瞬行われる非難や冷やかしの言葉を一瞬浴びせかけること、およびその言葉である(wikipediaより)
今回は選挙演説のみならず国会での野次も取り上げます。
野次についての論調
望月記者「この程度の野次で」
https://snjpn.net/archives/145273
警察が安倍首相を野次った人を排除したわけ
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019071700003.html
まあ、野次の正当化がひどい。野次を表現の自由を盾に正当化しているが、一方で野次に対する批判があまり無いのが気になる。
安倍首相の発言から
実は安倍首相も、就任間もない頃、野党の野次に対し「野次は国会の華」と発言して認めつつ、過度な野次を批判した経緯がある。安倍首相が直接に野次を批判できないのはこの背景から言葉尻を取られる危険があるからだろう。
表現の自由を盾にするな
自由というものは、他人に対する不利益の無い範囲で行使できる。ソースは私の小学生の時の担任であるが、尤もだと思う。で、野次はどの様に他社の不利益になっているかと言えば、それはもう、「知る権利の妨害」に他ならない。この点を無視して表現の自由だけを主張して発信する事はあまりにも稚拙であり、ジャーナリストとして失格だろう。
議会での野次
議論の基本はターン制。質問者が何の妨害も受けず質問をし、回答者は何の妨害も受けず回答する。横槍が入った状態で議論が深まるとは思えない。小学校の学級会でも徹底されているのに、国権の最高機関でのザマは酷い。品がない。国会や地方議会は誇りを持って美しい議会運営を行っていただきたい。
まとめ
- 表現の自由は野次の正当化の理由にはならない
- 安倍首相も野次を認めていたが、どんな内容であれ、野次は品がないから止めさせるべき。
- 国権の最高機関である議会は誇りと品位を持って運営されるべきだ
- 望月記者はジャーナリスト失格